僕も真剣に聞き始めて3年くらいなので、初心者ガイドにふさわしいと思う。


落語は新作落語と古典落語という二種類に大きく分けられる。前者は現代の人が創作したもの、後者は江戸時代からあるものというところだ。人によっては新作落語なんて落語じゃねぇ、というかもしれない。僕も好きではない。ただ、いきなり江戸時代の話を聞いてもなかなか入っていきにくいので、新作落語で落語の雰囲気を味わうのはアリだと思う。


というわけで、新作落語から。古典落語と違って話が面白くて笑える。が、ただそれだけのものだ。


立川志の輔の「みどりの窓口」




 立川志の輔は古典もやるが新作もやる。新作しかやらない桂三枝とそのあたりがちょっと違うが、やっぱり古典は上手でないのが残念だ。これが気に入ったら志の輔の新作をいろいろ聞いてみるのも最初は面白いかもしれない。「はんどたおる」「親の顔」それなりに笑えるものばかりでお勧めできる。



次に古典なんだけど、通好みの大名人といわれる人の落語は聞かないほうが良い。例えば桂文楽やら三遊亭円生は大名人といわれているが、僕にはそれほど面白いとは思えない。多分、落語を聴き始める人も同様だと思う。後、立川談志はすごく下手というか落語の体をなしてないので、聞かないほうが良い。


トップバッターは桂吉朝 「ふぐ鍋」



僕が落語を好きになったのは、このふぐ鍋を聞いてからだ。吉朝は何をやっても上手な人で、平成の名人だと思っているが、残念ながら50才で亡くなってしまった。これほど死が残念な芸人は他にいない。


この「ふぐ鍋」は、まだ河豚が恐れられていたころの話で話自体は他愛も無いのだが、それをここまで楽しく聞かせるというのは、かなりの芸だろう。



吉朝といえば、師匠の米朝も出さざるを得ない。短いので「世帯念仏」



米朝で最も好きなのは「100年目」なのだがちょっと長すぎるので、この話に。米朝もどれも面白い。声や発声?が独特で、どれを聞いてもはずれが無い。



で、米朝といえばその弟子の枝雀(吉朝の兄弟子)も良い。

「代書」






この演目「代書」は明治大正あたりで、字のかけない人が多かった時分の話だ。履歴書を代筆してもらいに来た人の話。枝雀では「寝床」が最も好きだが、最初に聞いて面白いかどうかわからないのでこれにした。枝雀は単体で聞くと関西風のサービス精神旺盛な話芸かもしれないが、米朝をたくさん聞いてから聞くと、アレンジが大変面白いことに気付く。ただし、「代書」は米朝版の方が好きだ。これが気に入ったら米朝版も聞いてほしい。


上方落語は江戸落語に比べてサービス精神旺盛というか、変に威張っていないところが好きだ。もともと漫才等が強い土地柄なので、落語は苦労したという背景があるのかもしれないが。どちらにせよ上方落語の方が初心者向けの気がする。


次は江戸落語。


春風亭柳好「鰻の幇間」


 かなり定番の話で、やっている人も多い。 春風亭柳好は評論家好みではなく、大衆好みの落語家のように思える。独特の歌い調子というのも良い。華がある。江戸落語家では一番好きかもしれない。


幇間とは別名「たいこもち」という職業。元来芸者屋で、客と芸者をとりもつのが商売で、すごいのになると芸者何人分以上の働き、つまり座を盛り上げることが出来たらしい。今では東京に一人か二人居るだけのようだ。この落語に出てくる幇間は、そういった店に属しているものではなく、往来やら道々でべんちゃらを言って、金持ちからたかろうという連中のことだ。


三遊亭金馬 「二十四孝」





柳好同様、評論家よりも大衆人気の高かった人。米朝の著作によると、横文字をふつうに落語に出したのが通といわれる連中に気に入られなかった理由らしい。



最後は、 古今亭志ん朝 「鰻の幇間」



大衆人気もあり、しかも本格派という人はこの人以外いないのではないか。実力は近年随一のものだと思う。


鰻の幇間は、先述した柳好のも良いが志ん朝も良い。なぜ同じような内容の話をやっているのか?それの何が面白いのか?そういう疑問を抱いていて落語を聴けない人は、聞き比べてみることで落語への理解が深まると思う。


ここまで書いておいて、これは本当に初心者向けなのだろうか、と疑問がわいてきた。今回のエントリーは自信が無くなってきたが、とりあえず書いたから公開しておこう。ところで今回紹介している中で、まだ生きているのは志の輔と米朝だけである。