2012年07月

憂鬱になったときのすごし方

最近説明不能な憂鬱さを感じることがある。SEという仕事は結局そういうものとの戦いなのかもしれない。体を動かす忙しさでは多分こうはならない。忙しいときほど会話が少ないし、ほとんど座って黙って朝8時から終電まで仕事をするわけだから、頭がおかしくなっているのだろう。忙しさゆえ、会話があったとしても和やかなものにはなりえないし。


どんなに忙しくても一週間に一日は休める。休めないなら辞めるつもりぐらいでやっているので強引にでももらっている。そういう休日はひたすら何もしない。酒を飲んで耳栓をして、一日中布団にくるまっている。これで何とか心を癒せる。こういった行動は普通に考えて異常だし、それゆえ年々着実に心が壊れていくことはもう仕方が無いのかもしれない。


生きるということは本当に何なのだろうか、そう思う人は年々増えてきていると思う。高度成長期のような希望が無いからなのだろう。忙しさが単なる忙殺といったものになっていき、そこにやりがいや楽しさが見出せないのが原因だと思われる。それでもプログラムが好きなのだと思うことで何とか保っていける、もしも好きなことが何も見出せない職種でこうなっていたら、僕はこの世にはいないだろうなぁ。

mixi退会後

アドレスにmixi.jpが入る迷惑メールが携帯に大量に来ることになった。アドレス名自体がmixi.jpではなくてXXXmixi.jpとかmixi.jpXXXとかmixi.jpという文字列が含まれるもの。どう考えても偶然ではないのだが、偶然といわれればそれまでとも言える。運営側が個人情報を云々して何かやっているようにも見える。はっきり言って裏で何が起こっているかわからず気味が悪いので退会して良かった。

mixi退会

情報が漏れる割に、メリット無いからなぁ。twitterもfacebookもやる気が無い。そういったWeb上でのコミュニケーションツールは僕にはあわないのだろう。

落語初心者案内??

僕も真剣に聞き始めて3年くらいなので、初心者ガイドにふさわしいと思う。


落語は新作落語と古典落語という二種類に大きく分けられる。前者は現代の人が創作したもの、後者は江戸時代からあるものというところだ。人によっては新作落語なんて落語じゃねぇ、というかもしれない。僕も好きではない。ただ、いきなり江戸時代の話を聞いてもなかなか入っていきにくいので、新作落語で落語の雰囲気を味わうのはアリだと思う。


というわけで、新作落語から。古典落語と違って話が面白くて笑える。が、ただそれだけのものだ。


立川志の輔の「みどりの窓口」




 立川志の輔は古典もやるが新作もやる。新作しかやらない桂三枝とそのあたりがちょっと違うが、やっぱり古典は上手でないのが残念だ。これが気に入ったら志の輔の新作をいろいろ聞いてみるのも最初は面白いかもしれない。「はんどたおる」「親の顔」それなりに笑えるものばかりでお勧めできる。



次に古典なんだけど、通好みの大名人といわれる人の落語は聞かないほうが良い。例えば桂文楽やら三遊亭円生は大名人といわれているが、僕にはそれほど面白いとは思えない。多分、落語を聴き始める人も同様だと思う。後、立川談志はすごく下手というか落語の体をなしてないので、聞かないほうが良い。


トップバッターは桂吉朝 「ふぐ鍋」



僕が落語を好きになったのは、このふぐ鍋を聞いてからだ。吉朝は何をやっても上手な人で、平成の名人だと思っているが、残念ながら50才で亡くなってしまった。これほど死が残念な芸人は他にいない。


この「ふぐ鍋」は、まだ河豚が恐れられていたころの話で話自体は他愛も無いのだが、それをここまで楽しく聞かせるというのは、かなりの芸だろう。



吉朝といえば、師匠の米朝も出さざるを得ない。短いので「世帯念仏」



米朝で最も好きなのは「100年目」なのだがちょっと長すぎるので、この話に。米朝もどれも面白い。声や発声?が独特で、どれを聞いてもはずれが無い。



で、米朝といえばその弟子の枝雀(吉朝の兄弟子)も良い。

「代書」






この演目「代書」は明治大正あたりで、字のかけない人が多かった時分の話だ。履歴書を代筆してもらいに来た人の話。枝雀では「寝床」が最も好きだが、最初に聞いて面白いかどうかわからないのでこれにした。枝雀は単体で聞くと関西風のサービス精神旺盛な話芸かもしれないが、米朝をたくさん聞いてから聞くと、アレンジが大変面白いことに気付く。ただし、「代書」は米朝版の方が好きだ。これが気に入ったら米朝版も聞いてほしい。


上方落語は江戸落語に比べてサービス精神旺盛というか、変に威張っていないところが好きだ。もともと漫才等が強い土地柄なので、落語は苦労したという背景があるのかもしれないが。どちらにせよ上方落語の方が初心者向けの気がする。


次は江戸落語。


春風亭柳好「鰻の幇間」


 かなり定番の話で、やっている人も多い。 春風亭柳好は評論家好みではなく、大衆好みの落語家のように思える。独特の歌い調子というのも良い。華がある。江戸落語家では一番好きかもしれない。


幇間とは別名「たいこもち」という職業。元来芸者屋で、客と芸者をとりもつのが商売で、すごいのになると芸者何人分以上の働き、つまり座を盛り上げることが出来たらしい。今では東京に一人か二人居るだけのようだ。この落語に出てくる幇間は、そういった店に属しているものではなく、往来やら道々でべんちゃらを言って、金持ちからたかろうという連中のことだ。


三遊亭金馬 「二十四孝」





柳好同様、評論家よりも大衆人気の高かった人。米朝の著作によると、横文字をふつうに落語に出したのが通といわれる連中に気に入られなかった理由らしい。



最後は、 古今亭志ん朝 「鰻の幇間」



大衆人気もあり、しかも本格派という人はこの人以外いないのではないか。実力は近年随一のものだと思う。


鰻の幇間は、先述した柳好のも良いが志ん朝も良い。なぜ同じような内容の話をやっているのか?それの何が面白いのか?そういう疑問を抱いていて落語を聴けない人は、聞き比べてみることで落語への理解が深まると思う。


ここまで書いておいて、これは本当に初心者向けなのだろうか、と疑問がわいてきた。今回のエントリーは自信が無くなってきたが、とりあえず書いたから公開しておこう。ところで今回紹介している中で、まだ生きているのは志の輔と米朝だけである。

じゃあ、お客様のために死ねば?

昔居た会社で「お客様のため」というのが口癖の上司が居た。彼をS氏としておこう。彼は口ほどお客様のために動いておらず、それどころか遅刻・無断欠勤の常習犯だった。今までおなじような決め台詞の男は何人が居たが、ロクな人間がいなかったのは偶然ではないのかもしれない。そして、しばらく見なかったが、最近お客様のため男に出会う羽目になった。典型的なその手のタイプの男だ。


お客様のため男は大概自分で解決するスキルを持たない。だからこそ言葉を使い、人に仕事をさせようとする。自分だけは楽したいし、客には嫌われたくない。今回は納期間近に仕様変更が来た。想定どおり勝手に約束をし、「責任は取るからがんばってくれ」とかいうやつだ。何に対してどう責任を取るのか知らないが。


どちらにしても納期間近での仕様変更なので、徹夜しようがなんだろうがうまくいかない可能性がある。やりたければ、一度クローズしてその後仕様変更のスケジュールを組むのが当たり前だ。この段階で修正を入れると下手にバグ入りのものを納品する羽目になり、それこそお客様のためにならないのではないか、と説明した。しかし、彼は客に良い顔をしたいのでゴメンナサイができないのだ。この子供じみたやり方、本当にお客様のため男のやることはだれも彼も似ている。とりあえず説明責任を果たしたので、体調不良で休み・実家の都合で定時退社の華麗な連続技を使用し、時間的に不可能な状態にした。当然お客様のため男は激怒した。


先述のS氏とは若さゆえにやりあったが、それ以降お客様のため男と出会っても、表立ってけんかにはならなかった。が、今回は色々あったのと、当のお客様のため男が政治的にそれほど強くなかったので(僕もズルイけど)、久しぶりにけんかになった。


・俺はお客様のために仕事をしているわけじゃない

・見積もりもできないくせに勝手に約束するな

・お前の仕事は無責任すぎる

etc etc

最後に、

・お客様のために死ねば?


当然彼との関係は修復不能のものとなってしまったが、日本全国に蔓延しているお客様のため病は他人様を死に至らしめるやっかいな病なので、こういった荒療治も必要だろう。まぁ、彼がたいして実権握っていないからここまで言えただけのことだが・・・・


お客様のためとか軽々しく言う奴は、少しくらい羞恥心を持った方が良いと思う。

今日は棋聖戦

最近はニコ生で、最初から最後まで一日中生中継してくれる。チャンネルに限りがあるテレビでは絶対に出来ない芸当だ。名人戦の生放送をみるため二日有給を消化してしまったが、そのかいあってとてもおもしろかった。羽生はすごいと思うけど、森内にもがんばってほしい。つまり、どちらも勝ってほしいという一粒で二度おいしい棋戦だった。


今日は棋聖戦、「実家の事情」で半ばむりやり休んだが、羽生がまたもやストレートで勝つのかどうか等々、色々楽しみだ。

聖闘士聖矢

ブックオフで立ち読みしてみた。小学生の頃はポセイドン編あたりまで読んでその後読んでない気がする。一応打ち切りっぽい最終回だったのを覚えているのだが、単行本では一応終了させられていた。書き下ろしなのだろうか?残念ながらストーリーはつまらない。


ポセイドン編は当時の感想通り要らないし、12宮編でさえも今読むと面白さが薄い。ツッコミどころも多い。聖闘士には同じ技は二度通用しない(キリッ)、とかいいながらお前は馬鹿の一つ覚えの流星拳だとか、主に兄さんは格好つけて登場してるくせにボコボコにされるとか、「これくらいでカンベンしといたるわ」とでも言いそうだ。ただし、ストーリーがテキトーでも聖闘士聖矢は人気の漫画だと思う。それはネットで検索すればわかるが、どちらかというといじられるタイプの人気だろう。


 よくよく考えたら、昔だってかなり読者にいじられるタイプの漫画だった。近所のお姉さんがよくキャプテン翼やら聖闘士聖矢とかをトレースして書いていた。同級生の男子だって書いていたのでそれほど驚くことではないと思っていたのだが、今思うと少し違うところがあった。


当時は何とも思わなかったのだが、今思うとアレなことがあった。当時小学生低学年だった僕と友人に翼くんと岬くんの台詞を言わせようとするのだ。しかも彼女が考えたオリジナル台詞だ。なにか気恥ずかしくて言わなかったけど、あれはあれだったんだろうなぁ。当時の僕は丸々太っていたので、黄レンジャーやらハート様役ならともかく翼君役をするとなると、彼女の想像力は半端なものではあるまい。言うまでも無く彼女のお気に入りは翼君・岬君・三杉君だった。


その彼女は”アニパロコミック”というアニメやら漫画やらのパロディー雑誌を持っていたので、投稿していたのだと思われる。で、そのパロディーの中身は聖闘士聖矢が異様に多かった。いわゆるBLとかなんとかいうのがあの当時あの中につまっていたのだろうが、当時の僕には当然理解できなかった。近所のお姉さんも小学校高学年もしくは中学生なのだが、女の子はホントマセている。聖闘士聖矢は今で言うところの腐女子をつくった漫画ではないだろうか?つまるところストーリーのテキトーさから読者がいかようにも想像でき、そしてストーリーよりもキャラクターに見栄をきらせて楽しませる。おっさんになった僕が面白いと思わないのは仕方が無いのかもしれない。


聖闘士聖矢でググるとそれだけで一時間くらいは笑える。そういう意味で、 聖闘士聖矢は昔の輝きを失っていない。最後に面白かったのを紹介。


聖闘士星矢レビューその弐~フェニックス一輝はホンマにすごいのか?

兄さん・・・・・


聖闘士星矢のフェニックス一輝のポジションに憧れる


12と13の発言。当たっているが・・・・。


かに座生まれに宿る怒りの小宇宙(コスモ)


僕は双子座なので勝ち組です。


聖闘士星矢ってワンパターンだよね


 どう考えても、沙織がガンだよね。
 


総合すると蟹と兄さんの人気に嫉妬、というところか。


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