2013年05月

乙武

落語などで、からだの不自由な人が物乞いをしていて、大旦那やおかみさんがお金をあげるシーンがある。僕はこのシーンが結構好きだ。好きな理由は登場人物が完全に善意で行っているからだ。だれからも強制されないことに意味がある。

障害者のために政府がインフラを何とかするために金を出すとか、それは結局税金という形だろうが意味があることだと思う。が、一般人に金を出せというのならそれは違うのではないかと思う。それはあくまで善意という形であるべきだろう。金の話ではないではないかという人が居るかもしれないが、何らかの労力を強いられるということは金と同じことだ。所謂機会費用。誰も他人から財産を奪う権利など無い。店にはコストにあわない客を断る権利も無いのだろうか。

東日本大震災の時も風評被害がどうだとか東北の農作物を買わない人の人間性を否定するような論調を展開し、結局外食産業だけを儲けさせたマヌケたちのことを考えると、構造がよく似ている。「XXXと考えない人の人間性を疑う」ような構造はいろいろな所にある。以前右翼か何かが捕まったときに「差別問題は金になる」と発言していた。なぜ金にしやすいかというと上記のような構造を作りやすいからだ。

今回乙武君がこんなことをしたのは、本当に怒ったからかもしれない。そうではなくて、自分の存在を誇示すればそれで足りるという思考があったかもしれない。後者だとしたらこういった個人ブログで書かれるということは彼にとってしてやったりなのだろう。もしも前者だとして単に言葉遣いや態度に怒っただけならそれはそれで収めればよいのだが、そうではなく障害者への云々という構造だとしたら、マイルドな恐喝のようなものだろう。

で、こんなこと言っている政治家が居るが、所謂善意を持って欲しいと言っているだけならば問題ないのだが、言葉どおりに本当にそうしろという意味で言っているとしたら、この人は自由の国の政治家とは言えない。

羽生対森内、2013年名人戦第四局

さすがにリアルタイムでは見られなかった。馬を作ったあたりは羽生が有利にさえ見えたのに、76歩をたたいたあたりから急激にだめになったように見える。実際には僕ごときに敗着がどの手だとかいえるほどの力があるわけも無いのだが。

第二局はつまらないと思ったのだが、今回のようなやり方で森内が勝つというのなら森内が素直に強いと言えるだろう。まだ終わったわけではないので、勝ち負けよりも面白い将棋を指して欲しい。

羽生対森内、2013年名人戦第三局

今棋界最強は誰だろう。僕は迷わず渡辺明と答える。


昨年の王座戦第二局で後手番羽生が渡辺明に対して飛車を振った。そして、一人千日手と言われる待ちを使った。この将棋は逆転として語られることが多いが、渡辺明は「将棋世界」で逆転という認識を否定している。多分そうなのだろう。僕はこの将棋を見て、王者が羽生から渡辺に移ったと思った。従来の何でも受けて立つ態度では渡辺に勝てないと羽生が判断したのだ。しかし、その後王座戦以外では、渡辺に対して堂々とした戦いを挑んでいたようで、結局分が悪かったが、妙に感動したのを覚えている。勝つことだけが価値ではないと言うだけあって、やはり羽生はレベルが違うのだ。しかし、それは渡辺が王者だからだろう。


先日の第二局では先手番なのに待ち状態を維持した森内を不満に思った。なぜ不満かというと、面白くないからだ。他の将棋ファンがどう思ったかは知らないが個人的に面白くは無かった。升田幸三が言ったように将棋指しは世の中で必要な商売というわけではないのだから少なくとも楽しませる将棋を指すべきだ、そう思っている。又羽生にしても打開を目指してこない先手番に無理な攻めをしていて、しかも終盤に素人でも分かるような投げやりな手を指しているのが不満だった。もはや従来の戦法では王者でなくなった羽生にはこだわらず指して欲しい。王座戦第二局はとてつもない名局だったではないか。羽生のポリシーなどどうでも良くて、ああいうのが見たいのだ。


今日の将棋は羽生が順当に勝った将棋だった。まさか先手で二連敗はしないだろうとは思っていのでこれ自体たいした話ではない。次回は羽生が後手番だ。楽しませてくれる将棋を指して欲しい。王者は渡辺だと思っているが、羽生の将棋が一番楽しみなのだから。

降水確率90%でも晴れる日がつづくので、気象庁が当てにならない?

先日「世の中に100%と0%というのは存在しない」と主張する人がいて、まぁそう言ってしまえばそうともいえるのだが、それによって彼が何を言いたかったのかわからないので話のあわせようが無かった。確かにイカサマでないサイコロであっても、100万回振ってすべてピンがでる確率は0ではない。だがそれが何だというのだ。そんな彼が降水確率90%なので雨が降らなかったことで気象庁がどうとか言っていたので、以前の発言は誰かの受け売りで格好良いと思ったから言っただけのことだと気付いた。


wikipediaでは「降水確率は、過去に同じような気象状況となった際の降水の情報をもとに、統計処理により確率を算出する。」とある。こんなことは当たり前で降水確率90%というからには、たぶん100000日とかそれくらいの日数があってそのうち90000日雨が降ったとかそういうことだろう。ただ、江戸時代の気象状況について気圧やら湿度やらの細かい情報が残っているとは思えないし昭和初期の記録があるとも思えないので標本は過去数十年ではないだろうか?この標本の数というのが重要なのだがWikipediaには記述が無いので何とも言えない。又「過去に同じような気象状況 」とあるが同じようなとはどのように判断したかもかかれていないのでどうしようもない。気温気圧はあるだろうし、もしかしたらドブ川のぼうふらの数とかもあるかもしれない。


なんにせよ、直近10日の天気予報が全はずれであったとしても、別に気象庁の責任ではない。責任があるとすると標本数が確率論から逸脱した数であった場合とか「過去に同じような」の判断材料が不適切だったとかそういう場合であるが、まぁまさかそんなことは無いだろう。さらに降水確率100%なのに雨の降らない日が2回続いたとしても別に問題ではない。10%刻みで99%という表記をしない以上、99%は100%と同じ意味なので数日のはずれは当然ありえる。況や正味の意味で100%だとしてもいままでそういった状況では常に雨が降っていただけで今後降らないとは言えないので別に気象庁のせいではない。他にも直近に重みを置いた確率を使っているとか、 「過去に同じような」の判断を時々変えているというのはあるかもしれない。いずれにしても経験則で言っているだけなので外れるのは当たり前だということだ。


そもそも、「いままでこういう状況ならこれだけの日数こうなっていた」といっているだけなので、天気予報に「外れ」という概念はないのだ。

会社が家族手当を出す理由

どこかでだれかが”次の世代に命を引き継ぐ”のがどうこう言っていて、そのご褒美が家族手当だと言っていたが、もしかしたらそれも一つの考えかもしれない。”働きやすい環境が云々”というのも正解なのかもしれない。ただ、メインの理由はそこではないのだろう、と勝手に思っている。


会社にとってそいつが子供を産もうが産むまいが知ったことではない。昔と違って主従関係ではないからだ。しかし、会社としては社員に結婚して欲しいし子供も産んで欲しいのだ。理由はとても簡単で、「独身者はいざとなれば逃げる」というところにある。女房を養っていれば逃げられない。子供が居れば尚逃げられない。つまり会社からすると無理が利くのだ。これはサラ金が家族構成を聞くのと同じ意味合いだと思われる。


なぜこんなことを書いたかというと、僕がIT業界に居て、この業界で度々逃げる奴を目撃しているからだ。逃げるというのは、鬱病になったとかそういう理由付きではなくある日いきなり来なくなることだが、やっぱり独身者。最近はやっていないが採用側として面接をするときについつい履歴書の家族構成を見ている自分が居る。自分自身いい年して独身でそういう意味ではもっとも逃亡しやすい人間なんだが、他人を見るときにはそんなこと棚上げしているのは我ながら滑稽な話だ。

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