いつの頃からだろうか、世の中フレームワーク開発だらけになってしまった。多分これは成果といえるのだろうが、プログラマという職業にとっては死活問題だ。ある意味プログラマは死んだのかもしれない。オフショア開発が最近増えてきて実装は人件費の安いアジア各国というのが増えてきている。そこまでいかなくてもコストの安い派遣に実装させることが増えており、プロパー社員にはプログラマをやらせなかったりする。悪い言い方をすると、実装者は誰でも良くなっているのだろう。


フレームワーク開発は良いものを作れるわけではない。ただ「フレームワークに沿っている限り、一定の品質を保証できる」だけだ。だから質の悪いフレームワークは低い品質で一定するだろう。そうでないフレームワークだってそのフレームワークを逸脱しなければならない場合は、もはや一定の品質を保つのは不可能となる。つまり程ほどにハマリが良いフレームワークを使った程々に平均的なものを実装し、ほどほどの品質を保つというのがフレームワーク開発の正解なのだ。これは成功しているのだろうが、旧来のプログラマは気持ちが悪いと感じるかもしれない。


なんにせよ、プログラマというものの役割は変わってきた。というより役割が減ってきて固定化してきた。その中で優秀であるということはどういうことか。クリエイティブな部分にそれを求められないので、作業の効率化ということになる。例えばEclipseが吐き出すSQLのWHERE x = ? という部分の?を手で変換してテストしている人が居るが、こういった人は多分優秀でないプログラマということになるのだろう。毎日更新するバージョン管理ツールを手作業で行進する人もダメな部類の入るのだろう。要は自動化できる作業をどう自動化するか、手作業でやることをいかに減らすか、そういった工夫に頭を使うことだ。


楽しみがなくなりつつあるプログラマの仕事の中で、こういった工夫は確かに達成感がある。こういうことしか出来ないのは寂しいことなのだが。