暇なときを見つけて短期の家庭教師をやっている。これが又気晴らしになっていい感じだ。算数と英語を教えることが多いのだが、算数が出来ない子は国語力が足りないと思う。単純な計算問題ならば反復練習なのだが、少しでも文章がある場合は、内容を日本語で理解した後、算数世界の言語で置き換える必要がある。日本語→算数の変換で失敗するのは分かるが、それ以前に日本語で理解できていない子が結構多いのに驚く。


かけ算の順序にこだわる教師と出版社の皆様へ 

で、これだけど、

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 xとyと言う変数を使っているので小学6年生に教える内容のようだ。「常に式の意味をしっかりと意識させることが大事である」と書いてあるのだが、わけがわからない。冗談抜きで理解不能なルールが出来上がっているようだ。
彼らはx円のノート8冊の代金はx+x+x+x+x+x+x+x円と考えるらしい。加法から乗法を教えるのは分かる。しかし、x+x+x+x+x+x+x+xをx×8と表記するのはありで、8×xと表記するのは無しと言うのは理解できない。「8円のノートx冊」の意味にならないから。日本語でも「x円のノート8冊の代金」は「8冊のx円のノートの代金」と書き換えることもできる。また、交換法則を教えてある以上、x×8と8×xを同値と見なさないのは教育内容と合致しない。x×8=yが自然でy=x×8が不自然と言うのも、等式の意味から理解し難い主張だ。
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掛け算の問題が出ると分かっていれば、その理屈を考えずに文章中にある数字を拾って掛け算して答えを出してしまう生徒も居るはずだ(結構多い)。これは文章を読んでいないのだ。又、交換法則云々と言っているが、これは文章を理解し数値に変換した後の話だ。しかしながら、文章題で計算過程を書かせるということは、思考順序が見たいからであって、結果として数学的に矛盾が無く答えが合っていれば良いというわけではあるまい。そのように、教師と出版社は考えているのだろう。

この方針を批判したいのならば、交換法則など持ち出してはいけない。一旦数式になった以上、日本語が介在する必要は無いのだが、出版社の主張はそうなる以前に日本語を理解できているかということだからだ。例えばよくある証明問題で両辺にXを掛けてから差を採ることで余分な項が消えて解けるようになるというのがあるが、両辺にXを掛けるのは日本語で説明できる問題ではない。それは「そうすれば数式がとけるから」そうしているだけなのだ。一旦数式になってしまえば、その系内で無矛盾でありさえすれば問題は無い。x×8も8×xも気にする必要が無い。だから批判するのならば「自然言語を理解していようがいまいが、数学的に矛盾しなければいいではないか」というものか、数式になる以前の日本語について「採点者の日本語理解が硬直しすぎている」と主張するといった二点となるだろう。

交換法則を持ち出すのは前者なのだが、これは「文章題に於ける日本語の理解なんて重要じゃないよね」と主張することになるわけなので説得力的にどうなのかと思う。そうすると後者の日本語理解に突破口を見出すわけだ。

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日本語でも「x円のノート8冊の代金」は「8冊のx円のノートの代金」と書き換えることもできる。
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「8冊のx円のノートの代金」という言い換え自体そんな風にいわねーしそんな風に思考しないだろと言いたいところだが、それは置くとしよう。問題はいかなる自然言語であろうが「8冊のx円のノートの代金」を8×xと解釈することは難しいのではないかということだ。つまりこの筆者の日本語解釈機能が一般的ではないということだろう。そういう解釈をする人がいるということだけで、標準にするのは誤りだと考える。

いろいろごちゃ混ぜになっていて何を言いたいのか分からなかった。出版社に対する批判のようだが、果たしてこれが批判になっているか大いに疑問だ。