読む人が読むと僕が誰だかばれてしまいそうだが、まぁいいだろう。あれから20年、すべてが思い出だ。大学から歩いて1分くらいのところハイツと呼ばれる魔窟があって、その近さゆえ用も無いのにたむろする人間が多かった。僕も例外ではなく、とある人の部屋に入り浸っていた。その彼、K君としようか、の部屋に入り浸ってゲームなどをやっていた。結局3年から校舎が変わることもあって二年ぐらいの付き合いとなった。今思うと彼はいい奴だった。基本的に穏やかで人の悪口を言わず、全般的に人がいい。今思うとかなり人格的に尊敬できる人物であった。で、彼には問題があった。それがポイント制という奇妙な制度だ。ポイント制とはなにかというと、彼が生活の何らかにポイントを定義して、自分の中で人生に点数をつけるものだった。例えばゲーセンで格ゲーで勝ったら何点とか、特に有用ではない日常のものについても彼の基準でどんどん点数をつけていく。その基準は当然彼にしかわからない。
多分多くの人から理解されていなかった。何かをするたびにメモ帳のようなものに数値を書いていて、書いているときの動作が無駄に大きい。そしてよくわからないタイミングでのガッツポーズ。黙々とやればどうということは無いのだが、ポイントをつけている動作が少々異様な感じで、理解されていないどころか引いている人も居た。ポイントの基準がよくわからなかったのもあいまって、奇行に近い印象をもたれていたかもしれない。あれから20年、僕はポイント制というのが悪くないと思っている。ただ、問題は何を何ポイントとするかということだ。彼のように生活のすべてをポイント化して生涯の点数目標にするというのは視点が大きすぎてよくわからなくなる。K君がそのことを気にしないのは気宇が大きいからだろうが、僕には無理だ。

世の中の何でもそうなのだが、実社会で実行しようとするモデルが「世界」「人生」のような大きなものだと実行する課程のルールがあいまいすぎるものとなる。初期のオブジェクト指向分析が世界をモデリングしようとして失敗したのもそのあたりだし、そういう例は枚挙に暇が無かろう。他の分野知らんが多分そうだ。彼が周囲の理解を得られなかったのは人生のすべての非生理現象にポイント制を適用しようという野望を持ったからだ(まさか生理現象にはつけていないよね?)。

僕は仕事など限られたものだけにこれを適用することで精神的な負担を軽くするツールになるのではないかと考えている。問題はそのルールの生成だ。自分さえ納得できれば良いので汎用である必要はない。僕も一時期やってみたことがある。僕がやったのは作業を効率化するごとにポイントをつけるというものだ。効率化しても結果的にあまり役に立たなかったものは1点、時々使えるものは3点、主たる業務又は日々の作業で効率化できたら5点、のように。これはそれなりに面白かった。今までも自己満足的にマクロやらバッチやらを作って自動化することで満足していたが、その効果を記録として残せたからだ。モチベーションが上がったかもしれない。だが、これが長く続くことは無かった。所詮自分が勝手に考えた点数であり、これが有用であるというように自分を騙し続けることは困難だからだ。ありていに言うと飽きたのだ。

だが、このポイント制やってみる価値はある。作業が孤独になりがちな人にお勧めする。僕はプログラマなのでプログラムを書いて日々効率化した場合を点数にしたが、これは自分自身でいかようにも決めればいい。例えば個人投資家などは取引の納得具合やルールの遵守具合で点数をつけてもいい。多分すぐ飽きると思うが、一度はやってみる価値はあるかもしれない。間違っても人生をポイント化しないように。

それにしても何年にも渡って、下手すると十年単位でポイント制を続けて飽きないK君は驚異的な存在だと思う。見えているものが僕らと違うのかもしれない。あれは実際何だったのだ、そして目標を達成できたのか、そもそも目標は何だったのか、20年たった今本気で聞いてみたい気がする。