「忍者は戻りませんでした」って何だ、コノヤロー。

信長の野望シリーズを20年ほどやっていない。中盤以降の退屈さが印象に残っており、もう大人になった今では消化ゲーをやる気が起きないからだ。戦国群雄伝が大変印象に残っていて、人生で始めてかどうかわからないが多分それに近い時期のSLGということもあって新鮮だった。ただ、天下統一のようなゲームを知ってしまったこともあり飽きるのも早かった。面倒なだけでゲームとしての楽しさがうすいからだ。それでも信長の野望は人気があって、持っている人が多かった。出回った数が多く、戦国群雄伝以降もコピーしてもらい、あまり遊ばないにしてもゲーム自体は持っていた。最近武将風雲録が手に入ったのでこういった戦国群雄伝のイメージを忘れてやってみた。ネットで調べたら同シリーズ内でも高い人気を誇るゲームらしいし、もしかしたら面白いかもと期待しつつ。

結論から言うと何でこんなものが面白いのか全く理解できなかった。どうせ有力大名でやれば簡単過ぎることはわかりきっているので弱小でやるのだが、とりあえず延々と米の売買をし続ける必要がある。売買に特にテクニックは要らない。0.8~2.3で変動するので、1付近になったら分割して買っていって、2付近で分割して売っていけばいいだけの話だ。どんな馬鹿でも出来る。実際作業中は口が半開きだったに違いない。しかしこれをやらないと何も始まらないのがまずストレスだ。何とかならんかったのかコレ。だが、これは良いとしよう。

で、お金がたまったら色々そろえて他国の情報を見るのだが、ロクな武将がいないせいか「忍者は戻りませんでした」で延々と何ターンやっても情報が見られない。政治力の高い武将を手に入れる動機付けになるのかもしれないが、こんなリアリティーいらねぇー。実はこの時点で心が何割か折れた。これがなかったらもう少しやり続けたかもしれない。

仕方がないから攻め入ると鉄砲だらけで篭城されるので、仕方なく兵数を減らして再度攻め入る。そこで何回か野戦して鉄砲を減らして、最後に大兵力で攻城戦。二カ国ほど制圧した後で、これを延々と繰り返すことに絶望的な気分になってやめた。馬鹿の一つ覚えみたいにやり続ければクリア自体は可能だろうことは解る。でも、そんなの面白いか?治水開墾の価値があまり高くないし、鉄砲持って本丸にこもれば済むので築城さえも価値が低い。そういった出来ることは多いけどあまり価値はないという状態は群雄伝の時と全く変わっていない。このあたりは余り期待していなかったので何とも思わなかった。その他の部分において、地下で発電棒をぐるぐる回す類の労働感がキツクて耐えられなかった。

一番気に入らなかったのは情報が自由に手に入らないことだ。あれがなぜ必要なのかさっぱりわからない。何度も延々と「忍者が戻りませんでした」がそこまで気に入らなかった理由が不思議だったが、少し考えれば気に入らない理由がわかる。SLGはノーリセットじゃないと嫌なタイプなので、情報は必ず見たいのだ。「とりあえず攻めてみて駄目ならリセットね」というスタンスならばそれほど気にしなかったかもしれない。そういう意味ではゲームデザインの問題ではなく僕にあわなかったというだけのことだろう。

数時間やっただけだが、もう二度とやらないだろうなぁ。おっさんになった今でも楽しめるゲームというのは貴重なものだということがしみじみと感じられた日曜の午後だった。