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そして、彦次郎が自らの商売を「ガタロ商を営む」というところで笑いになる。この彦次郎、女房も居て、なんだかんだ商売もやろうとしているわけで、普通に生活している感から笑いになるわけだ。
昭和の時代にもガタロみたいな人は居た気がするが、それはルンペンと同義で到底女房を持ったりはできないだろうから、この時代、つまり昭和初期の大らかさを感じるエピソードではある。
さて、このページに昭和初期の浮浪者を書いた本が紹介されている。国会図書館のアーカイブで読める。工藤英一著「浮浪者を語る」である。現在なら空き缶拾いのようないわゆる浮浪者の仕事を分類していて、著者自体がそういう人の福祉の立場にいた人ということでかなり詳しく書かれている。そして当時の浮浪者が浮浪者にならざるを得なかった理由として、関東大震災と資本主義の成熟を原因に挙げていて、納得させられるものがあった。
旧字が多く読みにくいし、いまだに読めない漢字もあるのだが、意味は十分にとれる。この中で「ガタロ」が「よなげや」と同意なのがわかる。この「よなげや」は落語に出てくるような牧歌的な職業ではない。当時の東京府から出るゴミが埋立地に運ばれて焼かれるのだが、その埋立地における焼却後の熱気のなかでごみを漁る。親指大のハエが腕を撫でるだけでごっそりと取れ、息をするとそのハエがごっそり口に入ってくるので歯を食いしばって作業をする。熱気で暑いうえ、周りが海の埋め立て地で喉が渇くが水がない、そこでゴミの中から腐った野菜や果物を汚れたまま頬張る。それが甘露のようなうまさで彼らは「山の実」と呼ぶ。
この「よなげや」のエピソードがいくつか載っているのが、長くなったので次回にしよう。