社会

山本直樹 レッド 連合赤軍の話

連合赤軍一連の事件について書いた漫画。連合赤軍というとあさま山荘が有名だが、どちらかというと山岳ベース事件の方が猟奇的だろう。何か分からない人は、画像検索でもしてみると良い。一応説明しよう。赤軍派と革命左派という共産主義化過激派がお互いに破滅しかかった末、野合したのが連合赤軍だ。その野合の初期は単なる赤軍派と革命左派の主導権争いでお互いの構成員を交互に殺していったが、最終的に閉鎖環境で自分が次の標的になるという疑心暗鬼から暴走が加速した、というところか。要はわけがわからなくなったんだろう。まぁーそれは結構どうでもよい。

この漫画4巻くらいまで買い、その後一応の最終巻である8巻まではブックオフで仕事帰りに立ち読みした。正直何の感想も無い。この漫画を評価できるかは、山岳ベース事件をどう捉えているかによると思っている。これを大きな社会事件と考え、内ゲバリンチで殺された人に感情移入できる人にとってはそれなりに意義がある漫画なのだろう。しかし、この事件の意義って何なのだろうか?僕にはよくわからないのだ。左翼活動に止めを刺した大事件のように語られているが、全然そうは思えない。そもそもあの時代、左翼というのは共産化の活動だったわけで、高度成長期にはもはや多くの人間にそっぽを向かれていた活動だ。現在のいわゆる「サヨク」とはちょっと違ったものだと思っている。だから別に山岳ベース事件があろうが無かろうがその衰退には関係ない。確かに死者を10人以上出したという意味では凶悪な事件だが、別に歴史的な意義があるとも思えない。要は、オウム事件と同じで狂信的な集団が起こした事件以上のものではない。関係者が勝手に持ち上げているようにしか思えないのだ。

赤軍派の遠山という女性がリンチで殺された話が悲劇として語り継がれているものが多い。大槻という革命左派の女性が美人だというかそういう文脈も入り、悲劇性を嵩上げしているように見える。が、彼女らも普通に射撃訓練をしていたので内ゲバで死ななければ銃を撃っていただろうし、珍妙な理論で爆弾を忌避していたが爆弾だって投げたかもしれない。山岳ベースという閉鎖された状況が起こしたといわれているが、殺された彼女彼らはそれ以前に嘗ての仲間を殺害しているわけだ。彼ら彼女らが生き残っていたら関係ない人が何人死んだかわからない。勝手に自滅してくれて良かったとさえ思っている。そう、だからその死に何の感情も涌いてこないのだ。

何か衝撃的な事件があると歴史的・社会的な意義を探す傾向にあるのかもしれないが、必ずしもそういった意義があるわけではない事件も多いと思う。やたら大上段で語られている連合赤軍事件だが、まさにそういう事件だったのではないだろうか。

日銀会合 現状維持と日高記者

日銀会合+GWの時期に過大なポジションなんて持っている人が悪いわけで、負けたとしてもそれは仕方が無いことだと思う。特に黒田総裁になってからの日銀会合なんて何があるか分からないわけだから、こんなところで信用取引やFXで満玉なんて狂気の沙汰としか言いようが無い。今回勝った人の中で、「うわさで買って事実で売れ」と勝ち誇っている人も多いが、それは単に運がいいだけだ。以前の日銀会合ならばそれをやって失敗したことも多かっただろう。そんなもんは運の問題に過ぎない。そもそもそのことわざだが、「うわさになってから買い始めて、うわさが真実になった時に売れ」という意味なので、そもそもうわさが真っ赤なウソな場合には当てはまらない。

それはともかく今回、日高記事の否定を日銀会合までやらなかったのは確信犯なのだろう。もともと、市場を驚かせるとか、ねじ伏せるとかそういうのが好きな人のようなので、前回のマイナス金利の飛ばし記事には相当ご立腹だったのは想像に難くない。今思うとマイナス金利も飛ばし記事どころか、たんなる日高記者の妄想がたまたま当たったという可能性だってある気がする。昨日の暴落のみならず、現在のCME基準で東証より500円下がっているわけで、ここまでの副作用があるとは思っていなかったかもしれない。もしかしたらある程度上げておけば下がっても安心だと思ったかもしれない。つまり、その記事を利用しようとした面もあるかもしれない。本当のところはわからないけど。

今回ポジションを持っていなかったので、自分自身になんら被害も利益も無かったわけだが、黒田総裁の今回の行動は本人が意図したかどうかは別として、それなりに意味がある。そしてある程度の必要性もあるだろうと思う。 要は「公式発表以前に誰かが書いた記事がたまたま当たるかもしれないから信じて取引しても良いけど、間違ったら君ら死ぬよ」というメッセージになる。こういうのを市場に周知させる(本人にその気があったかどうかは別)のは悪いことではないと思う。日銀会合発表前の記事で市場が乱高下するなんてあってはならないことだろう。ただ、今回の暴落黒田総裁はさすがに舌打ちしているかもしれない。日銀発表の一週間前くらいに否定しておけばここまでの被害は無かったと思う。

ペーパードライバーのためのうっかり失効対策、指定校VS未指定校VS一発試験

住所変更してなかったのがアダになった。ペーパーなので免許に対する意識が低いのも災いした。さすがに持っていないと老齢になったり身体障害者になった場合困るので、再取得することにした。うっかり失効にに気付いたのは、6ヶ月と7日。あと7日早ければ!というのもあるが、仮免から出発できるのを不幸中の幸いと考えた。持っている免許はMTだったけど、面倒なのでAT限定にした。かなり色々調べた。結論から言うとペーパードライバーには指定校入校以外の選択肢はないと思う。
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雪かきボランティア

【山梨】 雪かきボランティア募集 道具持参、自力で食事と宿泊場所を確保すること

え?なんでこんなに非難されているの?被災地側の立場に立てば、どんな奴がくるかわからないのにいちいちすべてを用意した上で旅行気分で来た奴にすぐ根をあげられたら困るし、そもそも被災地というのは色々不足しがちなのにボランティア側のために物資を用意するのって本末転倒だろう。それならばそういう目的の人は来てくれなくて結構というのがあちらの立場だろうし、多分妥当だと思う。

乙武

落語などで、からだの不自由な人が物乞いをしていて、大旦那やおかみさんがお金をあげるシーンがある。僕はこのシーンが結構好きだ。好きな理由は登場人物が完全に善意で行っているからだ。だれからも強制されないことに意味がある。

障害者のために政府がインフラを何とかするために金を出すとか、それは結局税金という形だろうが意味があることだと思う。が、一般人に金を出せというのならそれは違うのではないかと思う。それはあくまで善意という形であるべきだろう。金の話ではないではないかという人が居るかもしれないが、何らかの労力を強いられるということは金と同じことだ。所謂機会費用。誰も他人から財産を奪う権利など無い。店にはコストにあわない客を断る権利も無いのだろうか。

東日本大震災の時も風評被害がどうだとか東北の農作物を買わない人の人間性を否定するような論調を展開し、結局外食産業だけを儲けさせたマヌケたちのことを考えると、構造がよく似ている。「XXXと考えない人の人間性を疑う」ような構造はいろいろな所にある。以前右翼か何かが捕まったときに「差別問題は金になる」と発言していた。なぜ金にしやすいかというと上記のような構造を作りやすいからだ。

今回乙武君がこんなことをしたのは、本当に怒ったからかもしれない。そうではなくて、自分の存在を誇示すればそれで足りるという思考があったかもしれない。後者だとしたらこういった個人ブログで書かれるということは彼にとってしてやったりなのだろう。もしも前者だとして単に言葉遣いや態度に怒っただけならそれはそれで収めればよいのだが、そうではなく障害者への云々という構造だとしたら、マイルドな恐喝のようなものだろう。

で、こんなこと言っている政治家が居るが、所謂善意を持って欲しいと言っているだけならば問題ないのだが、言葉どおりに本当にそうしろという意味で言っているとしたら、この人は自由の国の政治家とは言えない。

会社が家族手当を出す理由

どこかでだれかが”次の世代に命を引き継ぐ”のがどうこう言っていて、そのご褒美が家族手当だと言っていたが、もしかしたらそれも一つの考えかもしれない。”働きやすい環境が云々”というのも正解なのかもしれない。ただ、メインの理由はそこではないのだろう、と勝手に思っている。


会社にとってそいつが子供を産もうが産むまいが知ったことではない。昔と違って主従関係ではないからだ。しかし、会社としては社員に結婚して欲しいし子供も産んで欲しいのだ。理由はとても簡単で、「独身者はいざとなれば逃げる」というところにある。女房を養っていれば逃げられない。子供が居れば尚逃げられない。つまり会社からすると無理が利くのだ。これはサラ金が家族構成を聞くのと同じ意味合いだと思われる。


なぜこんなことを書いたかというと、僕がIT業界に居て、この業界で度々逃げる奴を目撃しているからだ。逃げるというのは、鬱病になったとかそういう理由付きではなくある日いきなり来なくなることだが、やっぱり独身者。最近はやっていないが採用側として面接をするときについつい履歴書の家族構成を見ている自分が居る。自分自身いい年して独身でそういう意味ではもっとも逃亡しやすい人間なんだが、他人を見るときにはそんなこと棚上げしているのは我ながら滑稽な話だ。

日本語の乱れ-悪貨は良貨を駆逐するの誤用

僕は言葉の本来の意味というものは無いと思っている。正しい日本語という言い方をされるが、それはその世代がそう思い込んでいるだけのことも多いからだ。たとえば「ぜんぜん大丈夫」という”ぜんぜん”の後に肯定を入れるようなものは日本語の乱れだと少し上の世代は思っているようだが、もっと上の世代では普通に使われている。


又、誤用されたってたいして害の無いものは誤用されて、本来の意味が消えてもかまわないと思う。「情けは人のためならず」が”情けは人のためにならない”という意味で誤用されていると嘆く方々が居るが、別によいではないか。皆がそのように使用していけばそういった意味に変わるのだ。言葉に元来の本質的な意味などは無く、その使用されていく過程で如何様にも変化するし、その変化しているものを僕らは使用しているのだから。そしてその誤用がたいして気にされないのは、誤用による害がほとんど無いからであろう。 「情けは人のためならず」なんていわなくても「親切にすると自分に帰ってくるよ」と言い換えれば済む話なのであって、 「情けは人のためならず」という言葉の意味の変遷などそれほどの問題ではない。問題になるのは文学文芸の世界だけだろう。


専門書が奇妙な言葉を使用しているのはなぜだろうか?例えばUNIXに少しでも触れたことがあれば"775"という言葉で文脈混みですべてを理解できる。が、これを文章で表現するとかなり大変なことになる。要は文脈混みですべてを表せるので、こういった言葉の組み合わせが更なる高次の表現を可能とするということだ。 「情けは人のためならず」などのレベルだと、そういった高次の表現には余り必要が無いことが多い。ほとんど同じ語数で表せるからだ。使用感は余り変わらないので、後はどちらの表現だろうが”味わい”という個人的な感覚に関わることになる。


そこで表題だが、悪貨は良貨を駆逐するの誤用をちょくちょく見かける。悪いものが良いものを駆逐するという意味らしいが、格好つけたがって使用している割には語数が多いし、何しろ意味が違いすぎる。経済の分野で使われる本来の意味はむしろ逆なのだ。


「金含有量の少ない悪い通貨とそうでない通貨が同額の価値を中央銀行なり政府なり藩やら幕府なりから保証された場合、悪い通貨を早く処分し手元にはよい通貨を溜め込もうとする。市場には悪い通貨のみが流通され、よい通貨は退蔵されるばかりとなり、悪い通貨の価値は実質下がり始め、物価の・・・・エトセトラ」


誤用の悪は文脈の破壊にある。そしてそれは語数の問題である。だから語数が変わらない誤用は許せるが、文脈を破壊して語数を縮める機能を失わせるような誤用は許せない気分になる。著者が格好つけているつもりの場合は特に気持ち悪い。

外食系成長企業が宗教的な理由

外食系成長企業の茶番な話はYoutubeなどに上がっているので知っている人も多いだろう。僕の知り合いも外食系の成長企業に勤めているので分かるが、うわさにたがわぬ状況だ。妙に精神論的な部分が多いのには理由がある。創業者が出たがりなのもあるが、一番の理由は「やすい給料でこきつかう」という理想を実現するために必要なプロセスだからだ。こういった企業は見た目ほど儲かっていない。儲かっていて見えるのは搾取分が巨大だからだ。搾取を正当化することはビジネスモデルとしては必須のものとなる。


これはIT系のブラック企業にもあることだが、仕事と人生をやたら結び付けたがる。仕事=金ではないという形にしたいのだろう。必ず将来やら自己実現という目に見えないものについて語ることを強要し、それを否定するものは非建設的だと決め付ける。そして得意の「お客様は神様」。「であるからして」といわんばかりに給料は安い、残業は出ない。


さらに人間は苦労した仕事には愛着を持とうとする傾向がある。安い給料でこき使われている→転職しようというプロセスが安易なものならばそちらに向かうのだが、それが簡単でない場合はその苦痛を低減させるように心理が働く。そんなに人間の心が単純なのかは知らないが、一般の人よりも先述の「人生と仕事」とか「自己実現」などというものに納得してしまうのかもしれない。


結局「人を人と思わない」という考えが出来ないとこの業界では成長できないのかもしれない。そして、そういった壊れた人間でないとトップにはなれないのだろう。人を洗脳して安く使いつぶすというのは経営者の夢なのだろうが、それは奴隷売買と同じ発想であり、正常な人間の考えることではない。


尤も、人を人と思わない社会の意識にも問題があろう。弱いものたちが夕暮れ、さらに弱いものをたたく。搾取された側が腹いせのように見下す相手を探し、今度は搾取する側を助ける行動に出る。労働というものがもっと正当に、命と金の交換であるということが認知されているのならば、こんな悪辣なシステムはなくなるはずなのだが。

お客様のためにとは、結局誰のためなのだ?

僕は転職回数が多いので、多い中で数個の外国製パッケージを扱ったことがある。扱った当時は奇妙に思ったことは、作りが雑なのだ。雑といっても業務に支障があるというより、画面表示がずれるとかボタン配置が変とか、そういう部分が多い。それでも使われているのは業務に耐えうるからだ。正直当時はあいつらやる気あるのかとか思っていたが、そう思ってしまうこと自体が自分の首を絞めているのだ。


某大手の仕事をしているときにそういうチェックがとても厳しかった。やっぱりお客さんがどうこうなんだという話なんだけど、画面の見え方やらその他主観的な部分にかなりケチを付けられた。製品だけではない、仕様書の矢印の方向がどうとかこうとか、いろいろ言ってくる。でもそういうのってコアな部分のスケジュールに余裕がある場合に気にすることではないだろうか?既に遅れている段階で気にすることなのだろうか?サービスは完璧であるのが当たり前なのか?お客様と僕は主従関係なのか?お客様のために僕は死ななければならないのか?


でも若い頃外国製品のパッケージの仕事にケチをつけていた僕にそれを言う資格はない。結局お客様のためという名の下に、細かいところも許容せず、エンジニアやその他下っ端の従業員を押さえつけていた文化というのは僕ら自身が作っているものなのだろう。この文化はいったいどこから来たのだろうか?そしてどこに行きつくのだろうか?


マクドナルドのポテトの塩が辛いという程度で文句を言うのは辞めよう。配達の箱が壊れていても中身が無事なら良いではないか?飲食店でオーダーが通ってなくても怒る必要など無い。人に向けた矢が自分に向かっている、そしてそれは最悪のことだ。

ファーストサーバについて思うこと

ファーストサーバ障害、深刻化する大規模「データ消失」 ヤフー子会社、クラウド時代の盲点を露呈(ネット事件簿)



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 なぜ、外部にバックアップをとっておかなかったのか。ネット上では技術者を中心に、この点が指弾された。これについてファーストサーバの村竹室長は、こう話す。「おっしゃっているような一般的なバックアップというのは、我々のような低価格の料金で提供するのは難しい。サーバー内の別のディスクでとることを、我々はバックアップと考えています」

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値段が安いので、”何も書いていなければ”こういうレベルであることは想像がつくだろう。何台サーバーがあるかしらないけど、一台一台について、世代管理するならそれも考慮しつつ 棚からメディアを持ってきて、バックアップ終了したものを又棚にしまう。こういった作業は非常にコストがかかる。ただ、これも”何も書いていなければ”の話だ。


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 「さらに人為的なデータ損失があった場合にそなえ、日に1回、外部サーバーにデータを保存していますので、お客様によるデータの誤消去があった場合にも、前日の状態に戻すことが可能です」――。

 今回はファーストサーバによる「人為的な誤消去」。しかし実際は、バックアップは「外部サーバー」ではなく、「同一のサーバー内の別ディスク」にあり、完全なデータ消失に至ってしまった。この点についてファーストサーバの村竹室長は「数年前までは記述の通りだったが、現在は説明の通り異なる。記述ミスで、修正をせずにいた可能性がある」と語った。

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これは悪質すぎる。数年前そうだったというのもウソと見られても仕方が無い、というかウソだろうなぁ。説明図には外部バックアップ環境があるような図であるのもごまかすつもりでやっているとしか思えない。又、これだけのことが起きることからして、図のような検証環境があったのかどうかも怪しい。ウソは100回つけば真実になる、その場合さらに大きなウソをつかなければならない、とわが闘争の中でヒトラーが言っていたが、残念ながらもうライフはゼロですな。


とまぁ色々な意味でおかしい会社だと思われるが、使っていた人にも想像力が足りない面もあろう。


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「ダウン直前まで途切れることなく入ってきた注文を考えると、かなりの損害になる。万単位の顧客データもゼロスタートになり、正直途方に暮れています。言いたいことは、『元に戻してほしい』ですかね。言ってもしょうがないですが。大事なお客様とのつながりが断たれてしまい、信用を失ったことが何よりショックです」

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これは外部バックアップの問題ではない。僕自身バックアップを担当していたとき、定期的にテープに保存していたが、そのテープは別に防火金庫に入れられるわけでもないし、リスク分散のため別のビルに置かれるわけでもない。まさに普通に同じフロアの棚に入れるだけだった。つまり火事でも起きれば、サーバーと共にテープだって跡形も無くなる。


さらにバックアップを惰性でとっている場合、テープの状態について何一つ考慮していない可能性もある。テープが物理的に劣化していたり、バックアップしたはずのデータ自体が壊れていたり。そして、意外に多いのだが、本当にテープから復元できるかどうかの検証がなされていないとか。このように、震災ほどの災害が来なくてもデータはなくなる可能性が多々あるので、外部にバックアップを取ろうが取るまいが本当に重要なデータは自分でも持っておくべきだ。ただ、ITにそれなりに明るい担当者が居ない場合、こういったことまで想像しにくいかもしれない。


最後に日経新聞の記事が「クラウド時代の盲点 」と書いているが、別にクラウド時代云々には関係が無い。さらに言わせてもらうと、これってクラウドではなく単なるレンタルサーバーの話だろう。記事に時事性を持たせようとした意図はわかるのだが、誘導する方向が少々お粗末ではあるまいか。

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